JV「北九州まちづくりマネジメントチーム共同事業体」の⼀員として小倉城・小倉城庭園・しろテラスの指定管理業務を⾏なっています。ノースナインは主ににぎわいづくりを担当しております。
小倉城
勝山公園のシンボル的な存在でもある「小倉城」。城下では毎年たくさんの美しい桜が春の到来を教えてくれます。
〈小倉城の歴史〉1569年(永禄12年)、中国地方の毛利氏が現在の小倉城のある場所に城を造り、1602年(慶長7年)、細川忠興が今のような城を造りました。関ヶ原の戦いで徳川方の武将として活躍した忠興は、小倉を中心に約39万9千石の土地を治めました。1632年(寛永9年)、2代目藩主細川忠利は肥後国へ移り、変わって播磨国から譜代大名の小笠原忠宗が小倉に入国しました。江戸時代から九州の玄関口であった小倉は、大変賑わいを見せていました。
細川忠興の造った小倉城の天守閣は、「唐造り」と呼ばれ、4階と5階の間に屋根の庇がなく、5階が4階よりも大きくなっているのが特徴です。城下町を囲む外堀は、現在の砂津~中津口~香春口~豊後橋~金田~竪町を結ぶ約8キロメートルになります。石垣は切石を使わず、足立山から運び出した自然の形の石を積み上げて造っています。昔の天守閣は1837年(天保8年)に焼けてしまい、今の天守閣は1959年(昭和34年)に建てかえられました。
小倉城庭園
小倉城の東側にある小倉城主・小笠原氏の下屋敷跡地に、平成10年9月にオープン。江戸時代の大名屋敷を再現したもので、全国でも珍しい「礼儀作法のテーマ館」です。愛称は小笠原会館。会館は、書院棟、展示棟、日本庭園からなり、書院棟には武家屋敷の様式を再現した和室があり、抹茶が楽しめる「立礼席(りゅうれいせき)」や茶会に利用できる座敷などがあります。庭園は屋敷下の「のぞき池」の周囲を巡りながら景観を楽しむ「池泉回遊式」で、展示棟には平安時代から武家社会、現代までの「マナーの歴史」を映像や展示品で紹介。小笠原流の作法を記した「小笠原礼法絵巻」も公開されています。
しろテラス
4つの機能を集約した、新たなおもてなしの拠点。飲食コーナーには、小倉の老舗茶屋「辻利茶舗」があります。